「あなたが 好きだ。」
絡められた視線。
自分よりも ほんの少しだけ上にあるそれは、
自分より6つ年下の この若い大佐のもの。
思いつめたような光の 見え隠れする その瞳に、
彼の本気を知る。
「そう。それで?」
「え…」
彼が本気だと、わかっていて そう口にした。
今、俺の頭には 彼を手酷く振る方法しか浮かばない。
「付き合って?キスして?やらせて?ああ、全部か。そうだよね。」
笑顔を浮かべて。
優しく 柔らかな 声音で。
「でも、ごめん被るよ、マスタング大佐。」
傷付ける言葉を選ぶ。
「俺は、君に興味はないんだ。」
笑顔で叩き付けた言葉に、彼の表情が僅かに歪むのを見て、
踵を返した。
「好き なんて、ふざけたこと言ってんじゃねぇよ。プレイボーイくん。」
彼から遠ざかりながら、聞こえるか聞こえないかの音量で呟いた。
聞こえていれば、止めだろうな。
※ ※ ※
「さん!」
マスタングとの一件から3日経った日の昼休み。
飯を食いに出ようとしたら、後ろから 呼び止める声が聞こえた。
振り返ってみれば、走ってくる男。
「……ジャン…」
ジャン・ハボック少尉は、俺の親父の親友の息子で、
小さい頃は よくうちに遊びに来ていた。
まぁ、簡単に言ってしまえば幼馴染。
というよりは、手のかかる弟分だったが。
「さん、これからメシっスか?」
「そうだけど?」
「よっしゃ、ラッキー!」
「言っとくけど、奢らねーよ?」
「えー。けち…」
「『けち』じゃねぇよ。」
ぷぅと膨れるジャンの額をぺちりと叩く。
「大体、なんで俺が ジャンと昼飯食うって 決まってるわけ?」
そう聞くと、ジャンは ふと真剣な顔になる。
「…何だよ?」
「さん。お話が あります。」
その真っ直ぐな視線に 俺は、逃げ出したい気満々で
仕方なく頷いた。
※ ※ ※
行きつけの店の、いつもはカウンター席に座るところを
今回は テーブル席に案内してもらって、ジャンと向き合う。
「で、話って?」
あまり聞きたくはなかったが、昼休みは長くない。
ここで うだうだと引き伸ばしても、どうせまた捕まるなら
さっさと聞いてしまったほうがいい。
俺に促されたジャンは、しばらく言いにくそうに視線を彷徨わせると、
きっ、と 決意したように俺を見て、口を開いた。
「単刀直入に訊きます。うちの大佐に何言ったんスか。」
来た、と思った。
大体 予想はしていたが、まさか こうまで直球で来るとは…。
「何って、何が?」
「あんたにフられてから、晴れてても無能なんスよ あの人。」
「…何故、俺が彼を振ったと?」
「見てりゃわかります。」
あんたを見ると、必ず 溜め息が出るんです。と、ジャンは言った。
…それを見てる お前もすげぇよ ジャン。
「俺は君に興味は無い、と。」
「それだけっスか?」
「それだけだ。」
その後の呟きが 聞こえていたとは思わない。
「そう…っスか。」
それきり、ジャンは そのことについて触れず、黙々とメシを食った。
取り敢えず話しとやらは 終わったものと、
俺も メシを食うことに専念する。
食事を終えて 司令部に戻る。
「じゃぁな。午後も頑張れよ。」
「あ、さん」
呼び止められて 振り返れば、
さっきと同じ、真剣な目をしたジャン。
「ん?」
「さんは…大佐のこと 嫌いなんですか?」
不意打ちだった。
頭の中で 警報が鳴る。
逃げろ 逃げろ 逃げろ!
「興味ないって、言ったろ?」
その一言を 何でもないように言えたかすら分からぬまま、
ジャンを置いて 歩き出した。
※ ※ ※
俺は、ロイ・マスタングが 好きだ。
言ってしまえば、もう数年来 彼に片恋してきたし、
その自覚も 早いうちからあった。
好きだと 言われた時は嬉しかった。
嬉しさに 頷いてしまいそうになった自分を叱咤して、
俺は 彼を拒絶した。
だって、求めてしまうから。
その唇に触れたい。
その腕に抱かれたい。
俺だけを見て
俺だけを抱き締めて
俺だけにキスして
俺だけに好きだと言って
俺だけの ものになって…
怖い。
怖いんだ。
手に入れたら 二度と離せなくなる。
彼の言葉を受け取ってしまったら、
二度と離して あげられなくなる。
縛り付けてしまう。
失くすのが 怖いなら 最初から 手に入れなければいい。
だから 逃げよう。
嫌われれば、きっと もう 考えなくて済む。
嫌いなように振舞えば、彼だって きっと 嫌いになってくれる。
あと少し 俺が耐えれば 終わるんだ…。
※ ※ ※
人が耐えに耐えている時に。
ちょっとしたことで思い知らされる。
偶然とは 厄介なものだということを。
夕陽が 小さな窓から射している資料室。
一仕事終えて 何の気無しに 入ったそこで、
まさか会うとは思っていなかった。
「……マスタング…」
つい つぶやいてしまった名前に、
資料を見ていた彼が 顔を上げる。
「っ…」
警報が鳴る。
頭の中を「逃げろ」という それだけが支配する。
あからさまに逃げるのは いけないと分かっていても、
二人になって 耐えられるはずはなかったから。
入ってきたばかりの扉を開こうと ドアに手を伸ばした。
「准将!」
ドアノブに手を掛けた時、叫ぶように呼ばれた。
その声を、嬉しいと 思ってしまう自分を 何とか押さえつけて、
平静を装って 振り返る。
「何か、用?」
落ち着け!
落ち着くんだ。
笑って、嫌いと 言えなくちゃならないんだから。
取り繕え。今だけ。今、少しの間だけ 耐えてくれ。
「好き」の気持ちを閉じ込める枷に、必死で言い聞かせる。
「お聞きしたいことが…あります。」
俺を呼んだ時とは、比べ物にならないほどの 小さな声。
「へぇ?そう。何?」
今、自分は 平静を取り繕えているのだろうか。
何とも思っていないように 聞こえていればいい。
そうでなくては…困る。
「ふざけたこと、なんですか?」
「は?」
「俺の…言ったことは。」
じっと、俺を見てくるのは 本気の目。
いつもは「私」の 一人称が、「俺」になっていることさえ、
何故か嬉しくて、だめだ、と自分を叱咤する。
「ああ、聞こえてたんだ?」
笑顔を作って、口を開く。
冷たく聞こえるように。
彼が 俺を 嫌ってくれるように…。
「俺は、本気です。本気なんです、さん…」
どくん と、心臓が音を立てる。
名前を呼ばれて、これが 限界。
嬉しいと思う気持ちが止められない。
俺は、彼が…好きだ。
※ ※ ※
逃げた。
答えぬまま、その場を後にし、
その後 一度も顔をあわせないまま、俺は軍を辞めた。
続けられなかった。
続けられるはずがなかった。
耐えられなくなる。
縋ってしまう。
求めてしまう。
失くしたら…俺は 自分を 保てない。
軍を辞めたのだから、
次の仕事を見つけなければならないのだけれど。
何もする気になれないまま 1週間が過ぎた。
ぼーっと 一人 家にいて、
何をするでなく ただ 生理的欲求をのみ満たして。
今は それで安定している。
もう少し このままいれば、すぐ元に戻る。
仕事をして、疲れて、眠ることができる日が来る。
…本当に そうだろうか。
恋愛感情1つで、ここまで 自分がバカになるとは 思わなかった。
「何か サイアク…。」
口に出してみたところで、何が変わるわけじゃないのだけれど…。
ドアチャイムの音が聞こえたのは、
俺が 軍を辞めて 2週間が経った日のことだった。
相変わらず 何をするでなく過ごしていた俺は、
突然の来客に 驚きながらも、ゆっくりと 玄関に向かった。
うっすらと、ドアを開ければ
「こんにちは、さん。」
「ジャン…」
薄く笑みを浮かべた、軍服姿のジャン。…と、その後ろにもう一人。
「…マスタング」
少し驚いたように自分を見つめている、ロイ・マスタングがいた。
「何のつもりだ?」
ドアを開けながら、ジャンにだけ聞こえるように呟けば、
「やだなぁ、心配して来たんじゃないっスか。」
市内巡回のついでです、と 笑顔で返される。
「元気そうで よかった。」
そう口にするジャンの表情は、
俺の不摂生を見抜いているもので、少し居た堪れない。
「心配かけて、悪かったな。」
「ええ、そりゃもう。さんが辞めてからの大佐の落ち込みようときたら…」
「ハボック!」
ジャンが言い切る前に、その後ろから 遮る声が響いた。
その声に苦笑しながら、ジャンはマスタングの手首をつかんだ。
「まぁ、そういうわけなんで。」
「は?」
マスタングの腕を引っ張り、俺の方に押しやってきながら、
「大佐はこの後 直帰になってますから。ゆっくり話し合って下さい。」
そんなことを言って、立ち去ろうとする。
「ちょっ…待て、ジャン!」
「だめです、さん。」
振り返って にっこり笑う、ジャン。
「いい加減、素直になって下さい。」
しかし、その目は真剣で。
見透かされている と、思った。
「じゃないと、仕事が進まないんで。」
おどけたように言って、車に乗り込むジャン。
窓越しに片手を上げて、そのまま走り去った。
…どうしていいのだろう、この状況は。
「准将」
目線を泳がせていたら、マスタングが口を開いた。
「俺はもう 准将じゃなければ、軍人ですらない。」
「そう…でしたね。」
気まずそうに逸らされた視線。
マスタングは、黙って頭を下げ、そのまま去ろうとする。
黙って 見送りかけて、
やめた。
「マスタング!」
呼び止めると、彼は 驚いたように 振り返る。
「寄っていけ。茶くらい出す。」
ジャンの言い様からすれば、マスタングは まだ俺を諦めてはいない。
決着を付けよう。この恋に。
※ ※ ※
カチャリと 音を立てて、マスタングの前に ティーカップを置く。
いつも応接に使う リビングのソファに、彼が座っていることを嬉しく思う。
ここまできたら、もう すべてを明かして、
さっさと諦めてもらうしかないだろう。
もう 俺には、彼に 嫌い という態度を取ることすら、出来ないのだ。
感情が 暴走している。
「なぁ、マスタング」
彼と向かい合わせのソファに座り、彼を呼ぶ。
「はい」
ゆっくりと 俺を見る彼の視線から逃れるように目を閉じ、
一呼吸置いてから 目を開ける。
大丈夫。言える。
「お前、まだ 俺が 好きなのか?」
マスタングの目に動揺が走る。
「………はい。」
「そっか。」
「はい。」
辛そうな彼を見て、苦しくなる。
終わりにしよう。全部、言ってしまって終わりにしよう。
うやむやにしたら、また 彼は辛そうに顔をゆがめるのだろうから。
嘘をついてだめなら、正直に言ってしまおう。
「俺は、今から 本当のことしか 口にしない。」
「え…」
「俺の本心だけを、教えてあげる。俺は…」
「ストップ!聞きたくない!」
突然、マスタングが 叫んだ。
「もう…あなたから『嫌い』を聞くのは たくさんだ…」
「マスタング…」
「想うことも許されないというのなら 忘れます。」
違う。そうじゃない。
「あのな、マスタング、俺は…」
「やめて下さい。もう、これ以上は……お願いだ。」
「違うよ。ロイ・マスタング。」
穏やかな気持ちだった。
不思議と、とても落ち着いている自分がいる。
終わりにするんだと、決めたから だろうか。
「好きなんだ。」
マスタングの目が、見開かれる。
「ずっと、好きだった。もう、ずっと 前から…」
「じゃあ…何故…」
「怖かったから だ。」
「怖かった?」
彼の目に戸惑いが生じる。
きっと、こんなことを言われるとは、
まったく予想していなかったに違いない。
「好きすぎるんだよ。だから、手離せなくなる。」
「手離す必要なんか…」
俺の言葉に、立ち上がるマスタングを見上げる。
「聞いてたんだろ。プレイボーイくん?」
「あ…それは…」
『ふざけたこと』の意味に思い当たったらしい。
好きな奴が、いつも女に囲まれているのを
平然と見ていられるような人間じゃないんだよ 俺は。
「ほら、俺は お前にとって、重荷になるだろう?」
「そんなこと…」
マスタングから視線を外し、自分の足元を見る。
「だから、もう 忘れてくれないか。その方が お前にとっても…」
俯いて 言葉を紡いでいたら、ふっと 影が落ちた。
顔を上げれば、すぐ横に 彼が立っていた。
「無茶を、言わないで下さい。」
「え…」
「そんなことを言われて、忘れられるわけがないでしょう?」
ふわり と、抱き締められた。
「ちょっ!離し…っ」
「手離す必要なんかない。一生、縛り付けていてくれていい。」
「何言って…」
マスタングの腕から 逃れようともがくけれど、
「だめ。離せないよ、。」
名前を呼ばれて 力が抜ける。
「どんな女性も、もう いらない。愛してるんだ、あなたを。」
もう、だめだ。
「バカだよ、お前…。逃がしてやるって言ってんのに…」
諦めてやるって、言ってんのに。
「もう、離して やれないよ?」
「離さないで。。愛してる…」
「本当に、縛り付けるよ?俺だけに…」
「いい。裏切ったら 殺していいから」
ゆっくりと 彼の唇が、俺の それに重ねられる。
「だから、言って?」
「……俺も、愛してる。ロイ…」
言ってしまった、と 思った。
これでもう、俺は自分を抑えることが できなくなったんだ、とも。
※ ※ ※
「は 受ける方で平気?」
「どっちでも。ロイの好きなほうでいい。」
二人して、ベッドに沈み、囁くように言葉を交わす。
「じゃあ、俺に 抱かれて下さい。」
「いいよ。ロイ。俺を 抱いて下さい。」
言って、くすくすと 笑った。
ロイも 笑った。
「普通 星なんてさ、この空には沢山あって、見る気なんて起きないのに」
背中をベッドに預け、ロイに抱きついて その耳元に囁く。
「1つだけ、すごくキラキラしてる星を見つけてしまったんだ。」
「…」
「ロイだけが、すごく…キレイだった。」
高められていく熱を、心地良く感じる。
離さなくていいと、言ってくれるなら。
一生縛り付けても 構わないと、言ってくれるなら。
今だけでも、そう言ってくれるのなら。
今は この幸せだけを追っていよう。
この先 ロイが、俺を いらないと言うことが あるかもしれないけれど、
その時 自分が どうするか なんて 分からないから。
今だけは、この幸せに 身を委ねよう。
「愛してる…ロイ。」
〜End〜
あとがき
2004年夏(兼 引越し記念、兼 三万打記念)企画。第一弾。
鋼 初の年上主人公です。
年下のロイが書きづらかった…。
こんなんロイじゃねぇ!とか思っても突っ込まないでやって下さい(苦笑。
第二弾に続きます。
ブラウザ閉じて お戻り下さい。