同じ色の天国




「やかましい!」

「大佐、お電話は お静かに。」

「………。」


嫁さんもらえ、と 言われ、受話器を乱暴に置いた。

ヒューズからの家庭自慢の電話は、

ここのところ 3日と置かずに掛かってくる。

しかも、軍の回線で。


俺は、最愛の人を亡くした。

拒絶されて、けれど 諦められなかった。

彼も 俺を好きでいてくれたことが わかった時には、

もう自分を抑えることなど できなかった。


そうして手に入れた日々は 甘く幸せで、

まさか こんなに早く手放さなくてはならなくなるなど、

考えたくも無い現実だった。


塞ぎ込みたくても、そんな暇すら与えられない程の仕事の合間、

無遠慮に掛かってくるヒューズからの電話を迷惑だと感じながらも、

その実、少しばかり救われている自分がいることも否めない。


ヒューズは、わかってやっているんだろう。

多分、かなり気を遣わせている。

ヒューズだけではない。

平静に振舞えば振舞うほど、

周りの対応が気遣わしげになることが 明確に見て取れる。


私は腫れ物か、と言ってしまうには 自分はまだ弱すぎて。

甘んじて現状に在るしかない。

打開しようとするには、傷はまだ深く残っていて、

俺に彼を忘れることが出来ない限り、俺は弱いままなのだろうと思う。


忘れられない。

忘れたくない。

俺に 彼を忘れることなど、出来はしないのだ。


『幸せになれ』と 言った貴方。

けれど、貴方なしの幸せなんて、そう簡単に得られるとは思わない。

俺にとって、貴方の存在は 大きすぎたんですよ。さん…。


こんなことを考えて已まない俺を、情けないと思いますか?

ねぇ、さん。








  ※   ※   ※








「ジャン・ハボック少尉、只今 戻りましたぁ」


司令室に響く声に、

立ったまま目を通していたファイルから顔を上げる。


「『傷の男』は 確認できたか?」

「いえ。延々と掘り返してはいるんですが…」

「そうか…。」


あんな状況であれ、もしかしたら生きているかもしれない

という可能性は 捨てきれないでもない。

しかし、頭は回らない。

自分は本当に無能かもしれないと、

自嘲したところで 何の意味も成さないことは わかっているが。


回らない頭では 仕事など捗るはずもなく、

ただ眺めるだけになっていたファイルを ぱたり と閉じた。


「ハボック少尉」


自分のデスクで今日の報告をまとめているハボックに声をかける。


「はい?」

「夕食は?」

「まだ…ですけど…。」


その少々戸惑い気味の返答に、一息ついて 口を開いた。


「他に約束が無ければ 付き合いたまえ。奢ってやる。」

「マジっスか!? 後で撤回とか なしっスよ?」

「してほしいなら そうするが?」

「いやいやいやいや、喜んでお供させて頂きますっ!」


彼がさんの幼馴染であることは周知の事実であり、

気遣われるべきは むしろ彼ではないかと思うのだが、

彼に対し、あからさまに その様子を見せる者はいない。

それは 多分 彼が以前と、さんが亡くなる前と、

何ら変わっていないから…。


「…佐?大佐?」

「え…」

「大丈夫っスか?焦点 合ってなかったっスけど…。」

「ああ、いや、すまない。」


こうやって 考え込んでしまうから いけないのだと、

わかっては いるつもり なのだけれど…。


「さて、行こうか。」


司令室を出、食堂とは逆方向に歩き出すと、

ハボックが不思議そうな顔をした。


「どこ行くんスか?」

「すぐそこだ。」


司令部の建物を出ると、風が少し冷たく吹いていた。

あの花畑の花は、そろそろ咲き始めるだろうか。


さんの葬儀を終えた後、その足で 再度あの場所を訪れた。

ふらふらと 小川沿いを歩いていたら、

通りすがった地元の人間が 教えてくれた。


『ここは、一帯花畑になってましてね。』


微笑みながら話す初老の男性は、数年前に亡くなった彼の奥方が、

この場所をとても気に入っていたのだと、そう話した。


『あと一月もすれば、満開になりますよ。』


ぜひ その頃に また おいでなさいませ、と言い 彼は立ち去った。


あと一月もすれば花が咲く。

その言葉は、少なからず衝撃だった。


では なぜ…さんは『今は時期じゃない』と…?


考えても 答えを知る人は、もういないけれど…

知っていたのかもしれない。

二度と その花を 見ることは叶わない、と。








  ※   ※   ※








「あれ?ここって…」

「どうした?」


ハボックと連れ立って歩くこと十数分。

目的の店に着いたところで、彼の目が 驚きに見開かれた。


「大佐も ここ、よく来るんですか?」

「お前も ここの常連か?」

「いえ。一度だけさんに…連れてきてもらいました。」


さんの名前が出たことに、少し動揺したのを悟られた。

空いていたカウンタ席に並んで座りながら、ハボックが苦笑する。


「あれは、大佐が一度 さんに振られた時でしたね。」

「なっ…」

「大佐が落ち込んでるって言ったら、動揺してましたよ。」


傍から見たら平静に見えたでしょうけど、と彼は苦笑を絶やさない。


「で、それから、大佐のこと嫌いなんですか?って聞いたら…」


横目で こちらを見たハボックが、にやりと笑った。

少し身を乗り出してしまったのが バレたらしい。


「冷静装って 逃げられちまいました。」


まぁ、そうだろうな。あの時の あの人なら、多分そうしたろう と思う。


「ただし、装いきれてなかったっスけどね。」


だから あの時 大佐をさんの家に連れて行ったんです、と

そんなことを告白しながら ハボックは、運ばれてきた料理に手をつける。

彼は、俺が思っている以上に、自分たちのことを見ていたのかもしれない。

そんなことを考えていたら、


「大佐は…今、辛そうですね。」


不意に核心を突かれた。


「で、それなのに 俺が平気な顔してるから、ここに誘った。」


でしょう?と 問われ、しばしの沈黙の後、頷いた。


「それね、多分、大佐の おかげっスよ。」

「は?」


言われたことが瞬時に理解できず、

つい 間の抜けた声を出してしまった。


「大佐が、さんを捕まえてくれたから。」

「どういう…ことだ?」

「あの人ね、すっごく幸せそうに笑ってたんですよ。」


その笑顔を思い出したのか、ハボックの表情も笑みのそれになる。


「病気して、苦しそうなのに、それでも 笑ってた。」


ゆっくりと 食事を口に運びながらの その話は、

少し 焦れったくもあったが、急いても得は無い、と焦れる自分を抑えた。


「だから、俺の中のさんは、いつも笑顔なんです。」


いつでも 幸せそうに笑ってるんです。と 彼は言い、

そして、問うた。


「貴方の中の あの人は、笑っていますか?」








  ※   ※   ※








答えは簡単だった。

俺は、彼を亡くした悲しみだけに囚われ、彼の存在そのものを

心の奥に封じ込めるような真似をした。


彼の表情や口調を思い出すことを、無意識に避けていたために、

その笑顔までも 閉じ込めてしまったのだ。


わかれば、それは とても簡単な答えだったのに…。


『ああ、とても 幸せそうに 笑っているよ。』


そう答えたら、ハボックは 安堵したような笑みを見せた。


『じゃあ、大丈夫っスね。』


問いではなく断定。

その言葉に 後押しされるように 今日、ここへ来ることを 決意した。


白い墓石の下に眠るは、愛しい彼の人。

彼の葬儀以来、ここを訪れるのは これが初めてのこと。

市内を巡回した その足で花を買い この場所への道を辿った。


「すみません。もっと早くに来るべきだったのに。」


花を手向け 墓の前に片膝を付く。

亡き人の骸を守る その石は、

ただ冷たい沈黙を以って 俺の言葉を受け止める。

その石に手を伸ばし、ゆるりと 撫ぜた。


「あの時、覚悟は 決めたはずだったんですけどね…」


求められた口付けに応じた その時、覚悟は決めたはずだった。

愛していると 口にしたとき、全てを受け入れると、決めたはずだった。

けれど、その辛さは その決意の全てを 凌駕してしまい、

いつしか俺は、美化した悲しみに 身を委ねていた。


「情けないですよね、俺。」


貴方は 最後まで、笑っていてくれたのに…。


触れていた墓石の部分は、ほんのりと温もりを伝え、

まるで受け入れられているような気になる。


ついと身体を動かし、その石に そっと 口付けた。


「また 来ます。」


自分は もう大丈夫だと、その確信が持てたから。

立ち去る足取りにも、迷いは なかった。








  ※   ※   ※








仕事を抜け出しての墓参りだったために、

急ぎ足で司令部に戻った。

市中巡回の報告書を作らねばと、執務室に入ると、

電話が鳴っていた。


「おっと」


受話器を取り上げると、事務的な声が聞こえる。


『中央のヒューズ中佐から 一般回線で お電話です。』

「またヒューズか。つなげ。」


それにしても、一般回線からとは 珍しいな。

ブツッと音がして、回線が繋がったことを知る。


「私だ。娘自慢なら聞かんぞ!」


言い放った言葉に、いつもなら あほみたいな反応を示すのに。


「?」


今、返ってくるのは 沈黙ばかりで。


「ヒューズ?」


呼びかけても


「ヒューズ…」


呼びかけても


「おいっ!」


怒鳴りつけても


「ヒューズ!」


返事はなく。


「ヒューズ!! 」


これが 彼の悪戯であると、そう考えるには

呼びかけに対する沈黙は長すぎた。


彼の身に、何かが起こったのだと。悟らざるを得ない。

事情があって、受話器を下ろす間もなく

電話を離れたのだろう、と 自分に言い聞かせる。


落ち着け。いくらなんでも まさか それはあるまい。

そう思いながら、その『まさか』が、自分の杞憂であることを、

願わずには いられなかった。








  ※   ※   ※








突きつけられた現実は、親友の 死。


その骸の眠る 新しい墓標を前に、

何故逝ってしまったんだと 嘆くには、

口惜しさが先立って、涙一筋零すのが精一杯だった。


上層部に喰らい付くと宣言した折、

「やっと 貴方らしくなりましたね」と中尉は僅かに笑顔を浮かべた。

その笑みに苦笑を返し、改めて 迷わず先へ 向かうことを

己に誓い立てた。




それから数日の後、中央への移動の辞令が下り、

出立の前日、俺は再び さんの元を訪れた。


「約束を、果たしに行ってきます。」


親友との約束を、俺の野望を、

すべての思いを遂げに行くことを 決めた心は固い。


「全て終えたら、俺は必ず ここへ戻ってきます。」


貴方の眠る この場所へ。

きっと全てを成し遂げて、貴方の元へ帰りますから。


「待っていて、くれますか?」


答えを求めぬ問いかけに、風が ゆるりと 背中を押した。

『行ってこい』と、そう言うように。








  ※   ※   ※







煮詰まっていた。

中央に来て、数週間。

こなす仕事は量こそ増えれど 内容に然したる変化はない。

量が増えた その分だけ、めぼしい情報を得ることから

遠ざけられていく気がする。


苛々とペンを握る。

結果を急くことが 良策であるとは言えない。

そんなことは わかっている。

わかっているが、この焦りを 押し止める方法を

自分は知らない。

知りえないのだ。そう、生きてきたから。


日々募る苛立ちを打開する術を示したのは ハボックだった。

コーヒーでも淹れようと立ち上がると、

ハボックが、すっとコートを差し出した。


「何だ?」

「今日は もう、帰って下さい。大佐。」


言われた言葉に面食らう。

しかし 帰れといわれて あっさり そうできるはずもなく、


「何故だ?」


問う声は 自ずと低くなる。


「大佐の休暇届は 出させてもらいました。」

「は?」

「今から明日にかけて、貴方は休暇中の身です。」


言い渡されたのは、突然の休暇。


「勝手なことをして すみません。」


謝る男の声は真剣で、少し気圧される。


「ですが、今 貴方に必要なのは休養です。」


気が付けば、フュリー曹長や ファルマン准尉も

ちらちらと こちらの様子を窺っている。

ということは、ホークアイ中尉やブレダ少尉も

一枚噛んでいるということだろう。


「…わかった。」


了承すると、ハボックは ほっとしたような笑顔を見せた。

他の面々も、安心したように仕事に戻る。


さんの所へでも、行ってみたらどうですか?」


コートを手渡しながら言ったハボックの眉間を小突き、


「ありがとう」


と、小さく言って 司令室を出た。


まだ日の高い時間に 解放されることは ごく珍しい。

私服に着替え、喧騒の中を ゆっくり歩いて、

汽車の切符を買いに向かう。


イーストシティまでの切符を買おうとして思い直し、

少し長めの距離を買う。


行ってみよう、と思った。

あの 花畑に…。








  ※   ※   ※








辿り着いた地は、以前そこを訪れた時からは

想像も付かないほどに、一面が 真っ白い花に埋め尽くされていた。

一瞬、自分が雲の上にいるのではないかという錯覚に とらわれる。


一面の白。

これは、さんが いつか見た光景。

俺に 見せたいと、言ってくれた風景。


一緒に見ることは 叶わなかったけれど。

この場所を 綺麗だと思う心を 共有できたことが 嬉しい。

さんの中にあった『綺麗』を分け与えてもらえたようで…。



自分は 何を急いているのだろう。

また「自分らしさ」を失いかけていたことに、ようやく気が付いた。


簡単に惑ってしまう自分。

必死になりすぎて、持っているべき余裕まで、

かなぐり捨ててしまっていたことを、

彼らは気付いていたから、この休暇を押し付けたのだろう。


俺はまた、さんの笑顔を、忘れてしまうところだった…。


気持ちに整理が付いて、少し すっきりした。

小川へでも下りてみようかと、歩を進めかけた、その時。

一陣の風が、強く 吹き抜けた。


ざぁっ と、音がして、白い 花弁が 宙を舞う。


「きれい…だ…。」


それは、本当に 天使の羽のようで。


「貴方は いつも そうやって、俺の背を押してくれるんですね。」


はらはらと、落ちる花びらという軌跡を残しながら、

風は 遠く遠く 花弁を舞い上げていく。


まだ 白さを残す地に視線をめぐらせ、そうしてから 目を閉じた。



俺の大切な人と、大切な友とが居る場所は、

もしかしたら、こんな色なのかもしれない。


白の舞う 純潔の世界。


自分が そこへ、足を踏み入れることが できるかどうかは

わからないけれど…。





貴方のいる そこは、どんな色をしていますか?


俺が思い描く それは、少しでも、その光景を

捉えることが できていますか?



ねぇ、さん…。












〜End〜





あとがき

第四弾。いきなり原作とリンクしたから、
ちょっと苦しい所もあるかと思いますが、
そこは流してやって頂けると(苦笑。

企画、今回を以って終了です。
お付き合い頂き ありがとうございました。


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