13.微熱





体内に吐き出された熱を感じて、銃口を男の胸に押し当てる。

引き金に指を掛けて、男が自分の目を見下ろす瞬間を

まるでスローモーションのように感じながら見ていた。


その表情が、驚愕に揺れた時、それが あんたの最期だ。


俺は、淫らな笑みさえ浮かべて、男を見つめる。が、


「な…っ」


男の目は、俺の予想に反して、驚きに見開かれることはなかった。

それどころか…


─微笑った…!?


男は微笑ったのだった。俺に向けて。とても静かに。


「どうした?」


俺の耳に、声が、届く。





やさしく、穏やかな、声が。


するりと、俺の銃を持つ手に、男の手が重なる。

引き金に掛けた指を、促すように男の指が押す。


「っ…やめろ!」


咄嗟に俺は、銃を放り出していた。


?」

「な…んなんだよ あんた。」

「何、と言われてもね。」


殺されると わかっていて、微笑んだばかりか、自ら撃てと促すなんて、

ただのバカだとしか思えない。思えないのに。なのに…

なぜ自分は あのまま引き金を引けなかったのか…。


「俺の目的を、知っていたのか?」

「ん?ああ、そうだね…」


男は、俺の銃を放り出した手を、ゆるりと握ってきた。

身を繋げたまま、情事の後の睦言のように 甘やかな声を 俺の耳に注ぐ。


「軍人という職業柄ね、殺気には敏感なんだ。」

「なら、どうして…」


どうして あんたは俺の誘いに乗った?

どうして あんたは、俺を抱いた?

どうして…


「私を殺さなければ、君は どんな目に合うんだい?」

「っ…」


何だというのか。何なのだと。


「愛していると、言っただろう?」

「ふざけるな。」

「ふざけてなど いないよ。」


やさしく、やさしく、俺の身体を撫でさする。

男の手は、俺の快感を煽るでなく、手の届く範囲を隈なく撫でた。

顔、肩、胸、腹、下腹部、茂みに蹲る 自身…。


。さぁ、ほら…」


そうしながら、男は俺を促す。

俺が放り出した銃を拾い上げ、俺の手に握らせながら。


「…やめろ。」

?」

「もういい。」


握らされた銃を床に落とした。

男の目が、俺を見つめて ゆらりと揺れた。


「もういい。殺る気が失せた。」

、何を…」

「行けよ。」


俺に覆い被さったままの男を押しのける。ずるりと、抜け落ちる萎えた雄。

身を震わせるには、性感は醒めてしまっていたが、

男に馴染んでいたそこは、すぐに口を閉じることが叶わず、

入り込んできた空気に冷たさを感じて ひくりと蠢く。


「でも君が…」

「さっさと行きなよ。、ロイ・マスタング。」

!」

「リミットは あと3分だ。早く行ってくれ。」


このバカな男を 殺したくなかった。

初めて、人を殺したくない、などと感じた。

俺は…


「ホテルの どっかに隠れて、隙を見て外に出ろ。」

…君も、一緒に…」


服を身につけた男が、まだベッドに横たわる俺の腕を取ろうとする。


「おっと、冗談はやめてくれ。」

「え…?」

「俺が、あんたと行く理由はない。」


俺は、落ちてしまったんだろう。この男に。このバカな男に。あの 微笑みに…


「俺は組織を裏切る気は ないからな。」


ただ、あんたを殺る気が失せただけで、と言って、それが言い訳がましく

聞こえたかどうか、なんてのは俺の知ったこっちゃない。


…」

「時間だ、ロイ・マスタング。早く行け。」


ベッドの上から、男を追い立てるように放った声は冷たく突き放す響きを含んだ。

それで十分だった。俺は男を見なかった。

男が出て行く時、俺を振り返る気配がしたが、俺は男を見なかった。

それでよかった。俺は、それでよかった。



しばらくして、組織の奴らが部屋に入ってきた。

裸でベッドに横たわる俺に、特に驚くでもなく視線をくれたのは、

組織の司令塔である男だった。


「逃がしたな。」

「逃げられたんだよ。」

「何故逃がした。」

「逃げられたんだって。」


起き上がることもせずに言う俺の髪を、男の骨ばった指が鷲掴む。


「っ…」


そのまま床へと 引きずり落とされた。


「如何なる形であれ、失敗は許されないと、わかっているな?」


ぎりぎりと 髪を掴んで顔を上げさせられる。

冷たさの中に嫌らしい響きを持つ男の声が、耳に注ぎ込まれる。

気持ち悪さに目を眇めた。俺は この男が嫌いだ。


「フン。失敗しておきながら、この俺にガンをくれるとは…。」

「っぁ…っ」


ぎっ、と 強く髪を引き上げられる。

痛みに歪んだ俺の顔を見て、男は卑下た笑いを浮かべた。

胸クソ悪ぃ。


「さぁ、行こうか。ボスの所へな。」


素っ裸のまま後ろ手に縛られ、頭からシーツを被せられる。さすがの手際だ。

死体の片付けってのは、こんな具合にするのかと、全身をシーツに覆われ

担ぎ上げられた状態で思った。


何かワゴンのようなものに乗せられた。

シーツを被せられた俺が乗せられたのだから、

使用済みのリネンの回収に使うものだろう。


本当に、道理で俺の仕事がスムーズなはずだよ。動きに無駄がなさ過ぎる。

なんてことを考えているうちに、俺は再び抱え上げられ、どこかに放り込まれた。

多分、車の後部座席…だろうか。

シーツに覆われたままでは、光の強弱と音くらいしか情報がない。


少し遠くから、男の声がする。

今回 運ぶものが死体でなくなってしまったための 指示変更のようだ。

一通り指示が終わると、車が動き出す。

行き先は、通いなれた あの場所だろう。

視界が遮断されていてさえ 車が そこへ向かう道を辿っていることがわかる。



目的地に着いたらしい車から引き摺り下ろされ、シーツは外されないまま、

肩に担がれるようにして運ばれた。

どさりと 床に放り出され、ようやっとシーツが肌蹴る。


「よぉ、。」


声を掛けられ 視線を上げた先に、ボスの足が見えた。


「素っ裸で連れて来られるたぁ、さすがスキモノだ。」


俺を嘲う声は、いつもと変わらぬ調子で放たれる。

が、そこには怒りとも蔑みともつかない感情が含まれていることを、

多分、この場にいる全員が感じ取っているだろう。

この男は、失敗を許さない。


俺を ここまで連れてきた男が、俺の身体からシーツを剥ぎ取った。

後ろ手に縛られたまま、本当に素っ裸にされて コンクリートの床に転がされる。

せめて この床がリノリウムだったなら、もう少し温かかったろうか、と考えて

場に そぐわぬ自分の思考に、我ながら随分と余裕があるものだと思う。


「お前が標的を逃がすとはな。」


ボスの声は、嘲いを消さぬまま俺に向けられる。


「情にでも絆されたか。」


ゆっくりと 俺に近づいてきながら、ボスは嘲う。


「俺への忠誠を忘れた、と?」


言いながら 俺を真上から見下ろす位置まで来ると、

転がされている俺の脚を、革靴の先で蹴り 開かせる。


「なぁ、?」


弁解など意味がないとわかっていて、俺は口を閉ざした。

それを どう取ったのか、ボスは 俺の横にしゃがみこむと、

きつく俺の自身を握り取った。


「っ…」

「ココを、使い物にならなく してやろうか?」

「一応…ソレも、商売道具…なんですけど?」


痛みに呻きながら、何とか声を発する。


「淫乱な お前への仕置きには、ぴったりだと思うが?」


くくっと笑い、ボスは反応していない俺の自身の先端を爪で抉じ開けた。


「痛…っ」


苦痛に顔を歪ませれば、嘲いは いっそう深くなった。


「そうだな、使えなくなるのが嫌だと言うのなら…」


にやにやとした笑みを向けられ、ぞっと嫌な感覚が背筋に走る。


「ここを 拡張してやろう。」

「なっ…」

「この穴に、専用のバイブを刺し通して…」


楽しそうに嘲いながら、その穴の入り口を ほじられる。


「イかせずに、1ヵ月も嬲り続けてやれば、」

「っ…くっ」

「俺への忠誠を思い出すだろうよ。なぁ、。」


俺を裏切るってのは そういうことだ、と、ボスは、それでも笑う。

俺を嘲う。ただ、やさしく 嘲う。


「連れて行け。」


今まで控えていた男に、ボスが声を向ける。

どうやら俺は、鎖に繋がれ、ボスの言った通りに犯されるらしい。


この建物の地下には、そのための部屋があるのを俺は知っていた。

基本的に、失態の代償を身体に刻まれていたのは女のエージェントだったな、と

今更ながらに思い至る。男がどうなっていたかは知らないが、これから自分が

女のように扱われ、この身体を いいようにされるということだけは明白だ。


こうなれば もう苦笑するぐらいしか出来ないだろう。

縛られた腕を掴まれ、立たされる。

後から、歩けと小突かれ 僅かによろめいた。


と、バン、と音がして、ドアが勢い良く開かれた。


「何だ?」


ボスが怒鳴る。

ノックもせずに入るようなことを良しと思わぬ律儀なところがある このボスは、

乱暴な開け閉めを ひどく嫌っていた。


そんなことを冷静に考える自分の格好が、素っ裸であるのを思ってみれば、

間抜け この上ないという気にもなるが、この状況で何をどうすることも

できるわけはなく、突っ立ったまま 傍観を決め込んだ。


「おっと、静かにしてもらおうか。」


入ってきたのは、帽子を目深に被った見知らぬ男。

言うなり、カチリと銃口をボスに向けた。


サイレンサーも付いていない その銃を見て、その場の誰もが怪訝な顔をする。

男が ここに辿り着くまで、数名の見張りがいたはずだ。

それなのに、今まで発砲音など、一つも聞こえてきはしなかった。

その表情を見て取った男は、にやりと笑って、小さな球状のものを取り出した。


「ああ、外にいた皆さんには、ちょいと眠ってもらったんだわ。」


これでね、と、男が その球を放る。

カツン、と床に当たった途端、シュッと音がして球から煙が上がった。

催眠ガスらしい。球を投げた男は、さっと口をマスクで覆った。


もくもくと上がる白い煙を見ながら、諦めの溜息を吐く。

鼻と口を覆えるものを何一つ持っていない俺が、一番先に落ちることになるだろう。

その先、目が覚めたら何が待っているのか。

というより、目覚めることが出来るのか…


どうでもいいか、と思いながら、それでも頭の中に浮かんでくるのは、

あの男の微笑み。俺を捉えた、男の笑み。


どんどんと広がる煙に包まれていく。

俺の腕を掴んでいる男は、袖で口元を覆い、何事か喚いている。

多分、ボスの身を案じているのだろうと思えど、俺の意識は徐々に混濁していく。


「ロイ…」


最後のつもりで、と言うよりは、半ば無意識で その名を口にした。

それが音として 自分の耳に届く。

恋に溺れる女じゃあるまいし、と自嘲して、もう いっそ意識など失ってしまえと、

大きく息を吸い込んだ。…つもりだったのだが…。


「んっ!?」


鼻と口を覆うように、僅かに濡れた布が押し当てられると同時に、

俺の腕を掴んでいた男が、どさりと崩れた。

続けて、どさどさと 音がして、部屋の中が静かになった。


背後から、誰かが俺を支えるようにして抱きかかえている。

口に当てられた布に染み込まされているのは ただの水のようだ。

少しだけ 呼吸が楽になる。


「大丈夫か?」


しかし、聞こえてきた声に、俺の心臓は 危うく機能を停止しかけた。


「んっ…んん!」


布を押し当てられたままで、声を発することは叶わない。


「もう少し、我慢してくれ。この煙が引けるまで…」


告げる その声は、この場に そぐわず、ひどく甘い。


「ヒューズ!早く窓を開けてくれ。」

「へぇへぇ、今 やってるよ。」


ヒューズと呼ばれたのは、先程の男だろうか。


「ったく、人使い荒いっつーの。」


徐々に捌けていく煙の中、文句を言いながら彼が近付いてくる。


「もう それ外して大丈夫だぞ。早く何か着せてやれよ。」


その言葉に、口に押し当てられていた布が外される。

と、同時に俺は 勢い良く振り返った。


「ロイ!!っ…ぁ」


振り返ったは良かったが、勢い良すぎて、

少しばかり吸い込んでしまっていたらしい催眠ガスが回った。

くらりと 視界が歪む。


!急に動くから…」


心配したような、呆れたような、ロイの 声。

その声を聞いただけで、身体が 甘い微熱を孕む。


っとに…恋だの愛だの、そんなものは 俺のキャラじゃないってのに。

どうしてこうも絆されたか、と 吐く溜息は 少々重い。


ぶつりと音がして、手を縛っていた細い縄が切られたことを知る。

と、ロイの着ていたコートで身体を包まれ、横抱きに抱き上げられた。


「さ、早く ここを出よう。」

「無鉄砲なジャーナリストさん方が来る前にな。」


にやりと笑ったヒューズ氏は、この場所のことを フリーのジャーナリストに

こっそり教えたのだと言った。


「今日なら 面白ぇモンが見られるっつってな。」


そう言いながら、きっと彼は 自分が面白がっているんだろう。


部屋の中には、ボスを始め 男たちが点々と倒れていた。

仲間意識、なんてもんがあったわけじゃないが、

こんな状況になるとは 何とも不思議な気分だった。


というか、こんなことをして この2人は大丈夫なんだろうか…。


そんな俺の思考を読んだようなタイミングで、

ヒューズ氏が俺を振り返って にかりと笑った。


「心配すんな。外傷は たんこぶ1コずつだから。」

「は?」

「こいつらは生きてるし、俺たちが やったって証拠は残してない。」


銃は撃つためだけに あるんじゃないのよ、

と笑った彼が指したのはグリップだった。

ああ、つまり、それで1発 殴った、と。


「何者だよ、あんた。」


ロイと同業者なのは 何となくわかるが…


「ん?非番の軍人さ。」


『非番の』を強調して、彼はロイを軽く睨んだ。


「悪かったよ。他に捕まるのがいなかったんだ。」


俺を追尾しながら、呼べた応援は彼だけだったらしい。


「恋人一人のために、軍を動かすわけには いかんしな。」

「んーなことしたら、職権乱用で捕まるっての。」


だからって、付き合うなんて、まったく俺も お人好しだよ、と

呟いたヒューズ氏は、けれど楽しそうだ。


目の前で、というか、頭上で為される会話は、俺には どうにも くすぐったい。


「俺、一体いつの間に あんたの恋人になったわけ?」


抱き上げられたまま ぼそりと言ってみれば、


「おや、違ったのかい?」


至近距離で笑顔を向けられる。


「さぁな。」


俺は どうやら本当に、この男の笑みに落とされてしまったらしい、と

どくどくと脈打つ心臓と、頬の辺りに凝った微熱に参りながら思った。


「おっと、そろそろ来始めたみたいだ。」


窓から外を見て、ヒューズ氏が言ったのは、

先程言っていたジャーナリストのことだろう。


「行くぞ ヒューズ。」


それを聞くなり、ロイは 俺を抱えたまま 歩き出す。


「あ、おいっ!置いてくなよ 俺を!」


慌てたヒューズ氏が、追いかけてくる様子が可笑しくて、

俺は つい、肩を震わせて笑ってしまった。


ビルを出て、止めてあった車に乗り込む。

運転席にはヒューズ氏。俺は後部座席に寝かされ、

なぜかロイに 膝枕をされていた。

走り出した車の振動に、先程の名残りか、眠気が来た。


「なぁ、ロイ…」

「ん?」

「あんた、何で こんなこと…」


うつうつとしたまま問えば、


「愛していると、言っただろう?」


ロイは そう言って微笑った。

また 顔に熱が上る。


「あーあぁもう、いちゃついてろよ。」


運転席から聞こえた呆れ声に、俺の羞恥心は どうやら限界らしい。

今まで、自分に恥ずかしいなんて感情があったことさえ知らなかっただけに、

今の状況ってのは、結構キツかった。

目を閉じて、さっさと眠りに落ちてしまおうとした俺の髪を ロイが ゆるゆると梳く。


こんなことになってしまって、俺は これから どうなるのか…


どうでもいいか、と思った。

この男の傍に いられるなら、それでいい、と。

俺は、それでいい、と。


















〜End〜





あとがき

何だ この話(笑。
ホントは あのまま引き金引かせてしまうつもりだったんですけども。
それじゃ、微エロにならないじゃない、と 結局こうなりました(苦笑。
(だったら この お題を使うなよ、と言われてしまえば尤もで。)
しかし、前作のイメージ崩しちゃ続きの意味ないって話で…えーと。
主人公、単純でゴメンナサイ!クールなはずが、笑顔一つで
絆されちゃってもう…。書いてて俺が恥ずかしい…(涙。
突発ゲスト、ヒューズさん。パラレルって便利だと実感しました(笑。

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