「最近 コレばっかだな。」


ロイが ホークアイ中尉と市内巡回に出て行ったのを見送って、

ペンを走らせる手を止め、ぼつりと吐き出した。


「何がです?」


反応したのは ハボックで、彼も 一休みとばかりにペンを置く。


「仕事。書類作成ばっかりだ。」

「平和でいいじゃないですか」


フュリー曹長が、タイプライターを打ちながら笑って言った。


「刺激が足りないんだよ。」


つまらない、と言えるものなら言ってしまいたい。

ホークアイ中尉に聞かれると怖いから言わないけどな。


「じゃ、求めてみますか?刺激。」

「へ?」


にやりと笑ったハボックが、デスクの引き出しを漁り始めた。





14.デスクワーク




ペンを走らせる音と、タイプライターを打つ音が響く室内には、

表面上「とても真面目に仕事してます」って空気が流れている。

いや 実際 仕事は真面目にやっているんだけど、

俺を除く全員がロイの帰りを今か今かと待っている状態、

ってのはどうにも嫌な雰囲気だ。


ハボックがデスクから引っ張り出したのは、銀色の眼鏡のフレームだった。

拾得物の中にあったものが、与り期限を過ぎて廃棄になるところを

ちゃっかり貰ってきたらしい。

で、まぁ それを押し付けられて掛けてしまった俺なのだが…


「なあ、本当に ロイが戻ってくるまで掛けとくのか…?」

「刺激が欲しいんでしょ?中佐。」


にーっこり笑って言うハボックは上機嫌。


「こーゆーのは 違う気がする…」


ハボックや みんなには、ロイをからかうのは いい刺激だろうさ。

でも、俺には それじゃ済まない予感が…いや、確実に済まないだろうな。


「いーじゃないですか中佐ぁ。」


部下の心を癒してくださいよ、などと

わけの分からないことを言う ハボックを睨んでやると、


「ケーキ奢りますから!」


なんて、買収に出やがった。どうしても ロイをからかいたいらしい。


「…1ホールな。」

「うぇっ?!」

「あ、外していいんだ?」


にやりと笑って言う俺に、ハボックは、しまったという顔をした。

墓穴を掘ったことに気付いたらしい。


「わ…わかりました!奢りますよ。」


お?マジか?そこまでして娯楽が欲しいのか こいつは…。


「そのかわりっ!」

「そのかわり?」

「写真撮らせて下さい。」

「は?」


そしたら1ホール奢ります!と ハボックは言いきり、仕事の手を止めて

やりとりを聞いていたフュリー曹長やブレダ少尉を振り返った。


ハボックの言うことなど、みんなは苦笑して流すだろうと思っていたのに

ファルマン准尉までが かくかくと頷いてくれたのには びっくりだ。


「本気か?」


全員が こっくり頷くのを見て、俺は さっさと諦めることにした。

ハボックが どこからかカメラを持ってきて、写真を撮り始める。


「言っとくけど、俺 笑えないからな。」


写真を撮られるのでさえ苦手なのに、

カメラに向かって笑うなんて、恥ずかしくて出来ない。


「いーっスよ。自然にしてて下さい。」


カシャカシャと何枚か撮って、ハボックは 嬉しそうに仕事に戻った。

その写真、どうするつもりなのかは…あんまり知りたくないな。



しばらくして、ロイとホークアイ中尉が戻ってきた。

室内の空気が 僅かに浮つく。


ロイは執務室には行かず、司令室の奥のデスクに向かった。

コーヒーを淹れに行くという中尉に自分のもついでに、と頼みながら

ロイは俺たちが上げた書類をチェックし、捺印していく。


さて、いつ気付くかな。

俺は 知らん顔で仕事を続ける。


中佐ぁ、この書類 いいですかぁ?」


わざとらしく ハボックが俺を呼ぶ。

思わず笑ってしまいそうになりながら、書類を受け取る。


「何?俺に やれってか?」


現場に慣れているハボックは、書類作成よりも 肉体労働に向いている

ところがあって、たまに 俺がやった方が早い種類の書類を引き受けていたら、

「たまに」が「ちょくちょく」に変わるのには、さほど時間は掛からなかった。

ちらりと ハボックのデスクを見ると、積み上がった紙は、

俺の手元にあるものの 倍くらいだった。


「ったく…。紅茶1缶で手を打とう。」

「ありがとうございまっス。」


笑って答えるハボックの声は いつもよりでかい。

笑いを堪えながら自分の仕事に戻ろうとして、

コーヒーを入れて戻ってきた ホークアイ中尉と目が合った。


「あら、中佐…」


言いかけた中尉に、にっこりと笑って人差し指を唇に当てる。

中尉は、一瞬 驚いたような顔をして、それから 祈るような目で自分を見ている

ハボックたちに気付き、呆れたように 溜息を吐いたけれど、

あとは 何も言わずにいてくれた。


しかし…ロイは いつまで経っても顔を上げない。

何で こんな時に限って 真面目に仕事を、と思って、そういえば と思い出す。

忘れていた。今日は ロイと食事の約束があったんだ。


あちゃー、こりゃ まずいな…。

逃げ道のない状態でロイを からかったら どうなるか、なんて

考えなくても分かる。

俺の身が危険だ。


ハボックたちに謝って日を改めようと眼鏡に手をかけた時、

丁度そのタイミングで ロイが顔を上げた。ばちりと 目が合う。


「あ…」


外せなかった それに手をかけたまま、さてどうしよう と思考を巡らせる。

目を合わせたままのロイは、状況が 飲み込めない と言うように、

ぱしぱしと目を瞬かせている。

彼の手から滑り落ちたペンが、デスクに当たり こつんと音を立てた。


そっと目を逸らし、ハボックを見れば 俯いて肩を震わせている。

どうやら ロイの反応は期待通りだったらしい。


取り敢えず、まず考えるべきは 俺の逃げ道だ。

と言っても、逃げられる確立は低い、というか ない。

ロイが 約束のキャンセルを承諾するわけはないし、

今日逃げたところで、明日が恐ろしい。


ただ、諦めるには 明日の体調と相談したいわけで…


なんて、ぐるぐるしている間に、ロイが つかつかと やってきて、

俺の後ろに立った。


…」

「ん?何かあった?」


書類にミスでも?と、すっとぼけてやる。

どうせ結果が同じなら、徹底して からかってやれ。


「それは何だ?」

「どれ?」


わかっていて問い返すと、


「これだ。」


と、フレームだけの眼鏡を取り上げられた。


「眼鏡のフレームだろ?どう見ても。」

「そうじゃない。なぜ君が こんなものを…」

「んー、イメージチェンジ?」


なんて、半疑問形で小首を傾げてみせる。

ロイの手からフレームを取り返して、掛ける。


「似合わない?」


言った瞬間、手首を掴まれ、立ち上がらされた。


「わっ…!」


そのまま 司令室から連れ出されそうになる。


「大佐。どちらへ?」


中尉が落ち着き払った声で問う。


「すぐ戻る。」


中尉の問いには答えず、ロイは 俺を引きずったまま 司令室を出た。

予測の範囲内だったロイの行動に、俺は 諦めの溜息を吐きつつ、

残りの仕事を時間で割って、タイムリミットを算出する。


それが 余裕に見えたんだろう。ロイは 俺を執務室に引っ張り込むなり、

掛けたまま来てしまったフレームを、邪魔だと言わんばかりに

押し上げて 深く口付けてきた。


「んぅっ…!」


絡めた舌を きつく吸い上げられ、口腔を余す所なく舐められる。

苦しくなって ロイの舌を押し出そうと舌を使えば

逆に ロイの口腔内に引き込まれ 絡め取られてしまう。


「んーっ…んっ」


しばらく そうして貪られ、解放されたときには 俺の舌と唇は

じんじんと 痺れてしまっていた。


「あまり 私を挑発するな。」


俺の肩口に顔を埋めるようにして、ロイが 低く言った。

そして、そう言ったきり、何をするでなく 黙り込んでしまった。


「…ロイ?」


訝る俺の声に、ロイは 深く息を吐いて、


「自己嫌悪中だ」


と 言う。


「は?何で?」


俺としては、この後 押し倒されて1回、くらいまでは 覚悟済みだっただけに、

頭上に浮かぶ疑問符の数は少なくない。


普通なら、俺が覚悟していることを あっさり上回るようなことを

してくれてしまうのに、と思って 気付いた。


そうか、「普通」じゃないんだ。今は。

少なくとも ロイは今、俺に罪悪感を持っているんだろう。

俺の問いに 答えられていないという意識が、ロイの中にある。


「君を求めるばかりでは、いけないと わかっているのに…」


それでも まだ 言葉にするには重いのだと、黙した彼の全身が

そう言っているようで、俺は ロイの背中に腕を回し、あやすように背を撫ぜた。


「ローイ。大丈夫だから、な?」


ゆっくりと その背を撫でながら 囁く。


「言いたくないなら、いいって言ったろ?」

…」

「気にしすぎると ハゲるぞ?」


言って、ロイの顔を覗き込めば、ものすごく 複雑な表情をしていた。

つい、ぷっと吹き出してしまって、ロイに睨まれる。


「ごめんって。でもさ…」


ロイの目を 正面から見据えて続ける。


「本当に ゆっくりで いいんだよ。」


ロイの目は 少し、不安そうに揺れていた。


「俺は、ロイの側にいられれば、それでいいんだから。」


本当は知りたい、ロイの過去。知って全てを受け入れたい。

その辛さを 共有させてほしい。

ヒューズ中佐に言われてから、俺の中のその想いは、

消えたことは ないけれど。


「俺は ロイを好きでいられれば、いいんだからさ。」

…」

「頼むから、俺との間に 溝を作らないで。」


言い終わるか終わらないかのうちに、俺は ロイの腕に 抱き込まれていた。


、愛してる。」


まるで それ以外の術を知らないかのように、きつく きつく、抱き寄せられる。


「ロイ…」



「取り敢えず 仕事に戻ろうか。」


言って ロイの胸を軽く押すと、ロイは 脱力して 俺の肩に 顔を埋めた。


「そういうことを言うかい?この状況で。」

「だって、遅くなると 中尉が怖いし。」


『すぐ戻る』んだろう?と言ってやると、ロイは 諦めたように

俺の身体を離して、嘆息した。


「まあまあ。今夜は 覚悟しといてやるから。」


不満そうなロイに。にっと笑って言うと、苦笑が返って来た。


「まったく、君らしいと言うか何と言うか…」


わかったよ、と言いながら、


「ただし、これは没収。」


と、俺の額に押し上げられたままだった 銀色のフレームを引き抜いて

ポケットに仕舞い込んでしまう。


「さ、戻ろうか。」

「おう。紙の山の中へな。」

「嫌なこと言うね。」

「事実だし。」


くくっと笑いながら 執務室のドアを開けた。


ロイの後をついて司令室へ戻ると、みんなが好奇の目を向けてきたが、

俺の空気に何事もなかったことを感じ取ったのか、ハボックが

少し つまらなそうに口を尖らせた。

小さく溜息をついて睨んでやると、ハボックは ちゃっちゃと仕事に戻った。


俺も さっさと終わらせてしまおう。

自分のデスクに戻り ペンを取る。

ロイもまた、黙々と 捺印作業に戻った。



司令室に詰めること数時間。ようやく仕事から解放されて伸びをしていると、

こちらも書類を片付けたハボックが、いそいそとロイの元へ向かい

こそこそと 何事か耳打ちした。

そのまま こそこそと何事かを話し、最終的には ロイが折れたように頷いた。


嬉しそうに戻ってきたハボックに、


「何があったんだ?」


と 聞いても、内緒です、と はぐらかされてしまった。


が、事の真相は 後日 あっさりと判明した。

ハボックが 1ホールのケーキと紅茶1缶を持ってきた日の夜、

偶然 目に入ったロイの荷物の中には、あの時 ハボックが撮った写真が

ネガごと 収められていたのだ。


どうやら、売りつけられたらしいと知り、ロイに聞けば、

あっさりと その事実を認めた。


「愛するの写真を 持っていられるからね。」


などと、のたまってくれたロイは、

買わされた、という態度を取る割りには 上機嫌だ。


ほんの少し求めた刺激が、まったく 高くついたよ。

苦笑して見つめた先、ロイが ふわっと笑った。


まぁ、たまには、ほんと たまには、

こんな刺激を求めてみても、いいんじゃないか、なんて、

ちょっと 思ってみたりする。
















〜End〜





あとがき

ほのぼの眼鏡萌。
ハンコ社会の日本じゃあるまいし、捺印作業って…
なんて 突っ込みは しないで頂けると嬉(苦笑。
そんな感じで、やっとこ14話…うわー。先が長い…。

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