「おはようございます」
晴れた空に、ゆっくりと雲が流れて。
こんな穏やかな日には、清々しい挨拶が一番……なんだけどなぁ……。
「あー……おかえりなさい中佐ぁ」
司令室に入ってすぐ、疲れきった顔をして机にべったりと懐いている
ハボックがいた。
「何? どしたのハボック」
「うぁあん、中佐ぁっ」
問うなり、がばっと起き上がったハボックが駆け寄ってきて縋りついてくる。
「ちょっ、ほんとどうした」
きつく抱きつかれて戸惑っていれば、スパァンと小気味良い音がして、
「いっでぇ!」
ハボックが半泣きで離れた。
「おかえりなさい中佐」
「ホークアイ中尉!……て、あの、それは……」
彼女の手には、何故か、ハリセンが……
「少尉が大佐に燃されるよりはマシかと思いまして」
急遽用意したと淡々と告げられる。
聞いてもいいだろうか。……どっから出した。
「て、何があったんですか」
俺のいない間に、と誰にともつかず問えば、またハボックが縋りついて
こようとして、中尉にハリセンを喰らった。
「『傷の男』だ」
「へ?」
答えは、司令室の入り口から、唐突にもたらされた。
立っているのは、ロイ。
疲れたような顔をして、それ以上の説明は何もないまま
かつかつと足音を立ててハボックに近寄る。
「ハボック少尉……」
「は、いっ」
「仕事はどうした」
じとりと視線を向けられ、ハボックが、ぴきんと固まる。
「や、あの……途中経過を報告に……」
「ほう? ご苦労だった。……で?」
「へ?」
「報告に来て……に抱きつく必要はどこに?」
低いロイの声を聞きながら、まずった、と思う。
先にロイのところに顔を出しておくべきだった。
「な、あの……ほんと、何があったの?」
これはもう自分が多少甘ったれた態度を取ってでもロイの気を逸らす以外
ハボックを庇う手はないように思えて(多分実際、直接にハボックを庇えば
彼の機嫌はさらに急降下しただろう)ロイの上着の裾を、後ろから、
つん、と引っ張る。
途端、くるりと振り返ったロイに、がっちりと抱きすくめられ、俺は再び
慌てふためくことになった。
司令室であの騒ぎでは、皆の仕事に差し支えるからと、ロイの執務室へ
引き上げた。ロイは中尉にハリセンを喰らっていたが、まあ自業自得だろう。
ハボックは現場へ戻ると言って司令室を出て行き、中尉は別件の書類が
片付かないと、慌しく司令部の建物内を駆け回っている。
執務室には自然、2人きり。
「っても、これはどうかと思うよ」
疲れたと言い張るロイに、説明してほしければ言うことを聞けと強引に
ソファに座らされ、膝枕のために脚を提供させられてしまった。
「いいから聞け」
「はい」
それは、昨日俺が中央へ向かった直後だった。
ガス爆発かと思われた大きな爆発の後に、「傷の男」の上着らしきものが
発見された。が、しかし、それ以外に大きな遺留品はなく、奴の死亡も
確認されていない。
「今ハボックに現場を任せている」
「ああ、それで」
それでは、仕事は主に瓦礫の撤去作業だろう。
きっと昨晩は徹夜に違いない。
それであの行動かと納得して、ロイを膝にのせたまま立ち上がる。
「どわっ」
支えもしなかったから、ロイはソファから転げ落ち、ごち、と床に
頭を打った。
「!」
何てことするんだと涙目なロイに、何食わぬ顔をして、
ちょっと出かけてくると告げる。
「どこへ?」
「その現場とやら。現状は把握しとかないとな」
他にやることがあるから。作業には関われないが、見てくるくらいは
いいだろうと問えば、ロイは少しだけ苦い顔をした。
「大丈夫か?」
「え、何が?」
「一切、ノータッチでも構わないんだぞ?」
「ああ……や、平気。もう大丈夫だから」
言われて、いや、言われなくてもわかっていた。
「傷の男」に関することに、あれ以来、俺の前では誰も触れはしない。
事後処理もあったろうに、俺には書類の1枚すら目に付くことはなかった。
ロイも、中尉も、ハボックも、ヒューズ中佐も。
本当にみんなして、俺をスポイルでもする気なのかと疑いたくなる。
「俺だって、軍人だよ。ロイ」
割り切れなくても、ふっきれなくても、仕事としてこなすことくらい
慣れてきた身だ。だてにこの歳で中佐なんかになっていない。
「そうか。ならいい」
俺の意志を汲んで、納得したというよりはどこか諦めにも似た表情で
ロイは俺が現場視察に行くのを許してくれた。
「私も少し、出かけるところがあるからな」
そこまで一緒に行こうと言われ、連れ立って執務室を出る。
「外で仕事?」
「いや、私用だ。すぐ済む」
「そう」
廊下で会った中尉に爆発現場を見てくると告げると、彼女は少し
痛ましいような顔をして、それでも何も言わずに送り出してくれた。
ロイに関しては、少々小言がついたが、ロイが何事かをこそりと
耳打ちすると、「早く戻って下さいね」と渋々許し、中尉は自分の
仕事へと戻っていった。
「何言ったの?」
「ああ、ちょっとね」
「そう」
聞いた答えをはぐらかされ、それはつまり、聞かれたくないということ
なんだろうと諦めて息をつく。
イシュヴァールの話ではないけれど、こういう小さな秘密から、ロイとの間の
溝が拡がりそうで、それが少し怖い。
司令部を出て歩く。
俺もロイも、無言のまま。
「じゃあ、私はこっちだから」
しばらくして、ようやく聞こえたロイの声は、道の分岐を告げるもの。
寂しいと思うのは、俺の甘えだろうか。
「今夜も家には帰れそうにないな」
「そう、だね。この状況じゃあ……」
唐突の呟きに答えようとして、
「」
「ん?」
静かに落ちた声に、首を傾げる。
「今夜24時、仮眠室で会おう」
「え……」
「話が、ある」
ロイの声は、真剣そのもので、けれどその裏、何か緊張のようなものと、
それから、多分、不安なのだろう何かが、見え隠れしていた。
「……わかった」
一瞬、別れ話かと疑って、でもすぐに打ち消した。
そんなに簡単に、壊れる関係なんかじゃないと……ロイが、そんなに簡単に
関係を壊すようなことはしないと、何故か信じられて。
「それから……」
「何?」
「しばらく出来そうにないし、久しぶりに仮眠室ででも……」
「やだ。しない。ていうか、させない」
つれない、と嘆くロイを置いて、教えられた爆発現場へと向かう。
少し足早に歩きながら、さっきの台詞を思い出し、やはり別れ話では
ないだろうと、少し安堵を覚えている自分に苦笑する。
ああ、俺は、ロイが好きで仕方ないらしい。
※ ※ ※
「ハボック」
がらがらと、瓦礫の崩れる中、声をかければ、
「あ、中佐! どうしたんスか?」
振り返ったハボックは、少し嬉しそうに笑った。
「ん? ちょっとグチ聞いてやろうかと思って」
さっきはロイに邪魔されたから少しだけ、と言って邪魔にならなそうな
位置から現場を見渡しつつ、何でもいいからグチれと促した。
「グチって……そんなないですけどね、グチなんかは」
大佐は少し横暴だけど、仕事ですしと苦笑して、ハボックはそれよりもと
爆発現場のことを説明してくれた。
「まだあと何人埋まってるか……」
「そっか……と、『傷の男』の遺留品は?」
「最初の上着だけっス。今のところ」
「じゃあ、大佐はまだやきもきするんだな」
可哀相にと冗談めかすが、のってくるかと思ったハボックは予想に反して
少し苦い顔になった。
「貴方もでしょう?」
「え……」
小さく返されたそれに、何か、見透かされたような気がして……
「や、何でもないっス。俺、仕事戻りますね」
「あ、ああ」
俺の表情が変わったことに気付いたらしいハボックが、ふっと笑って
発言をなかったことにする。
「じゃ、中佐、デスクワーク頑張ってください」
「ハボックも、怪我しないようにな」
「はい。あ、中佐」
「ん?」
「来てくれて、ありがとうございました」
ちょっと仕事が楽になったと、笑う顔に嘘はないと思う。
ああ、と返して……けれど小さく苦く笑うのが精一杯。
だって、俺は……だって……。
……逃がされた。
ちゃっと現場の指揮に戻るハボックは、それきり綺麗に俺を無視することで
先ほどの発言から俺を逃がした。
「かっこわりぃ……」
苦く笑って、呟くのは自分への慰め。
本当は平気でも何でもないと、どうせ皆に知られていて、
だけど無理くらいしたい。
甘やかされることしかできない自分を、自分の言葉で落として、
少し、楽になる。
多少惨めな気分は、否めないのだったけれど。
※ ※ ※
「っ……あー」
思いっきり伸びをして、デスクワークに凝り固まった背筋を伸ばす。
時計を見れば23時55分を過ぎたところ。
司令室にいたホークアイ中尉に、仮眠室へ行くことを告げ、
部屋を出ようとすると。
「中佐」
「はい?」
「ちゃんと寝てくださいね」
「……はい」
そこにロイが待っていることを知っているのだろう中尉に、
ぐさりと釘を刺される。
きっとロイの方は、太い釘を2、3本喰らっているだろう。
俺を寝かせなかったら、その分仕事を押し付ける、くらいのことは
言われているかもしれない。
俺だって、こんなところでやる気はさらさらないけれど……
流されない自信は正直ない。
何だかんだ言っても、やっぱり俺はロイが好きなのだから。
使用中の札の下がったドアを軽く叩き、いらえがないことに首を傾げながら
そっと音を立てないように開く。
鍵はかかっていなかった。
中を覗くと、ロイが力尽きたようにベッドにうつぶせて寝息を立てていた。
「あらら」
上着はかろうじて脱いだという状態で床に無造作に落とされている。
起こさないように中に入り、ドアには鍵をかけて、
「おつかれさま」
上着を拾い上げ、そのままベッドの端に腰掛けて、寝ているロイの髪を
さらりと梳く。シャワー室を使ったのか、ふわりと甘い匂いがした。
さらさらと撫ぜていると、ふ、とロイが目をあける。
「ん…………?」
「ったく、人を呼び出しといて、これはないんじゃない?」
べつに腹立たしいわけでもないから、笑いながら静かに言ってやる。
「すまない。眠気に負けた」
「いいけどさ。で? 添い寝でもする?」
「いや、起きるよ」
のそりと起き上がり、ベッドから脚を下ろす形で腰掛けたロイに、
もっと近くに来いと促される。
まだ眠たそうな顔を大丈夫かと覗き込めば、ちゅ、と軽い音を立てて
口づけられた。
「ん……」
触れるだけのそれは、深くはならないまま続いて、やがて静かに離れる。
「」
「ん?」
「渡したいものがあるんだ」
そっと身体を離されて、手を取られる。
「え……」
すっと、指に、小さな重み。
「っ……これ……」
左手の、薬指。
細く光るそれが、何を意味するのかなんて、きっと子どもでも知っている。
「渡すべきじゃないと、何度も思った」
「……ロイ?」
「でも、俺は君に……側にいてほしい」
聞き慣れないロイの一人称に、ひどく胸がざわめく。
「話そう、すべて」
イシュヴァールのこと。
そこにある、ロイの過去。
「うん……」
ロイは、そっと指輪に触れ、目を閉じた。
「終わったら、外してくれてもかまわない」
静かな、静かな声に、これから語られる内容が、自分の苦手な
類のものだと教えられる。
「……うん」
大丈夫。その言葉は気休めで、だけど強い。
大丈夫だよ、ロイ。
ちゃんと聞くから。ちゃんと、俺も考えるから。
だから、ロイ。
「聞かせて」
〜End〜
あとがき
あとがくほどの何もないような気もしますが(笑。
ほんとうは、この後もう少し書くつもりだったんですが、
長さと、次のお題の関係で打ち止めました。
なるべく早めに次をあげたいと……思うだけは思ってます。
がんばります。
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