ニーナと、手を繋いで歩いていた。
傍らには、愛しい人。
「ねぇ、お兄ちゃん、抱っこして?」
「ん? いいよ」
抱っこをせがむニーナを抱き上げて、軽いなと笑えば、
「親子みたいだな」
と、ロイが笑った。
「何言ってんのさ。親子だろ」
そう、俺たちは家族だ。ロイと、ニーナと、俺と。
家に帰ればアレキサンダーが待っていて、帰るなり飛びついてくるのは
いつものことなのに、ロイは一体何を言っているんだろう。
「ははっ、そうだな」
「そうだよ」
笑って、あったかいニーナを抱きしめて、幸せな日々。
「よーぉ。ロイ」
「ヒューズ」
ヒューズ中佐が、エリシアちゃんを連れてやってきた。
まだ小さいエリシアちゃんは、その腕の中で、すやすやと眠っている。
「お散歩ですか?」
「おう。エリシアちゃんを見せびらかしたくってな」
にこにこと、やに下がった顔は、娘を目の前にしていつもの数倍崩れている。
ああ、この人も、幸せなのだと、ニーナを抱きしめて思う。
「お兄ちゃん、苦しいよーっ」
ぎゅうっと抱きしめてしまったから、ニーナはちょっと怒って俺の腕から
飛び降りてしまった。
「ごめんごめん」
「いーよ。許してあげる」
笑って、手を繋いで、歩き始める。ロイと、ヒューズ中佐も。
電話が鳴った。
すぐ側の公衆電話のボックスから、けたたましいような音。
ヒューズ中佐が、エリシアちゃんをロイに預け、受話器を取る。
中佐が電話している最中、エリシアちゃんがぐずり始め、持て余したロイから
彼女を引き受ける。左腕にエリシアちゃんを抱き、右手はニーナと繋いで、
電話中のヒューズ中佐に近付いていくロイを眺めていた。
「悪い、ちょっと行かなくちゃならなくなった」
受話器を置いたヒューズ中佐と、傍らに立つロイが、あとを頼むと言い置いて
こちらに背を向ける。
そこは、いつのまにか、戦場だった。
「ロイ!」
呼んでも
「ヒューズ中佐!」
呼んでも
「待っ……」
声は届かない。
振り向いてはくれない。
腕の中のエリシアちゃんはひどく泣き、追いかけようとした右手を、とても強い
力で引かれる。右手には、ニーナの、小さな手が……
「ニー……ナ……?」
血に塗れたそれは、いつか俺が肩を撃ち抜いた15、6歳の少年のものだった。
殲滅戦の最中、殺すのが嫌で、彼に生きる可能性を残した。そう、その少年。
「エリシアちゃ……っあ……」
腕の中の子どもは、こちらも血に濡れて。
「マ、マ……ぁ」
母親を求めて泣くそれも、戦場で、覚えのあるもの。
「っ……」
「だから、言っただろう」
聞こえてきた声は、かつて親友だった、彼の……
「殺してやった方が、そいつらは幸せだって」
「そ……んな……」
「お前が弱っちいから、苦しんで死んでいく奴が増えるんだ」
「そ、……な、こと……」
「ほら、あそこにも、お前が弱いせいで苦しむ奴らがいる」
言われて、はっと顔を上げれば、ロイと、ヒューズ中佐が。
「ロ……っ!?」
叫ぼうとして、声が喉に詰まる。
『第十二小隊、崩れました』
『第五小隊から応援要請が』
『第八小隊から入電!』
『こちら第八小隊、攻撃を受けています! 至急応援を……うわぁっ』
『どうした! おい!!』
耳に届くのは、懐かしみたくもないのに懐かしい、戦場の、声。
視線の先ではロイとヒューズ中佐が何事かを話し、それからヒューズ中佐が
出動の準備を始める。
「ヒュ……ズ、中……佐っ」
声が出ない。
腕が重い。
動けない。
「だめだよお兄ちゃん」
「ニ……ナ……?」
声に振り返れば、右手を掴んでいるそれは、少女の形をしない血まみれの……
けれど、ニーナだった。
「お兄ちゃんは弱いんだから、見てるしか、ないのよ」
『マスタング大佐』
声とともに、ホークアイ中尉が、ハボック少尉が、ブレダ少尉が、ファルマン准尉が
フュリー曹長が、ロイのまわりに集まる。
いつもの、光景。
そこに、俺が、いない。
俺がいないのが、当たり前の頃の、彼ら。
「……イ……ロ、イ……っ」
「だめだよ、お兄ちゃんは、ここで見てるの」
ニーナの声とともに、左手に抱いていたものが、どろりと溶け、それが闇になる。
「ここで、見てるの。全部、見てて」
俺の周りの全てが、黒いそれに飲まれ、ニーナも。
「どこへ……」
声が出た。
けれど、進めない。
ロイも、いない。
誰も、いない。
暗闇に、唐突に見えた光景。
それは、イシュヴァールの。
「ロイ……!」
ロイと、そして皆。ヒューズ中佐もいる。
しかし、そこはたしかに、イシュヴァールの戦場だった。
赤い目の誰かが、彼らのいる場所に……ロイのいる場所に向けて、発砲しようと
しているのが見えて、俺は咄嗟に胸元から銃を出す。
『だめだよ、お兄ちゃん、あの人、殺しちゃうよ?』
『殺してやった方が、親切だろう』
『お兄ちゃん』
『怖いのか? 殺すのが』
『殺したくないんでしょ?』
『殺してやれよ、なぁ』
今にもロイは撃たれそうなのに、俺は、引き鉄を引けない。
殺してしまうのが怖いから? ロイが危ないのに?
何故……何故俺は、撃てないのだろう。
「どうして……!」
叫んだ瞬間、手が動いた。
狙いを定め、引き鉄を引く。
そして……
「ロイ!!」
くずおれたのは、ロイ。
赤い目の誰かは、すでに絶命しているのがわかる。
ロイは……ロイは、まだ息をしていて、けれど溢れる血が止まらない。
『ほら、お前が弱いから、あの人はあんなことになった』
「あ……あ……」
足が動かない。
前に進めない。
闇に囚われ……左腕に、エリシアちゃんがいて、右手にニーナの手がある。
「ちがうよ、お兄ちゃん」
「え……」
「ちがうよ」
何がと問う前に、ニーナが、ロイの倒れる場所を指す。
血に濡れたロイの側に、いつの間にかいないのは、
「ヒューズ……中佐?」
呟いた途端、世界が、浮上して。
※ ※ ※
「っ……?」
見慣れた天井は、仮眠室のそれ。
決して上質ではないベッドは、俺の汗に、じっとりと湿っていた。
「嫌な……夢だ……」
すでに内容は記憶から抜け落ちるように薄れているが、それでも
嫌な夢だったことだけは、はっきりしている。
眠る前に、イシュヴァールの話を聞いたからだろうか。
あのあと、仮眠室に入ってから随分と時間が経ってしまっていることに
気付いたのはロイが先立った。
1時間上げるから眠っていきなさいと言って仕事に戻ったロイの言葉に甘えて
眠ったのはどうやら30分ほど前のことらしい。
せっかく起きたのだし、どうせならシャワー室を使おうと思い立ち、ハンガーに
掛けておいた上着を手にとって、その肩口が湿っていることに気付く。
「あ……」
ロイの涙に濡れた跡。
濡れたことによる変色は、もうさほど目立たないが、そこには確かに、
ロイの名残がある。
「これ……洗わないで、とっとこうかな……」
呟いてから、それではただの変態ではないかと思い至る。
しかし、ロイが自分の腕の中で泣いてくれたことが、それほど嬉しかったのだ。
「っと……遊んでると時間がなくなる」
はっとして、仮眠室を出る。
シャワー室へ向かう俺の足取りは、とても軽かった。
※ ※ ※
「おはようございます」
「おはようございます、中佐」
声をかけて司令室に入れば、ホークアイ中尉が目顔で眠れたのかと問うてくる。
苦笑しながら頷いて、ロイの元へと向かった。
俺に1時間くれたせいで中尉がロイに回しているだろう書類を引き取らなくては。
「おはようございます、マスタング大佐」
ロイの指に、あの指輪はない、俺の指にも。
互いの指輪は、余計な詮索をされるのを避けるために外しておこうと話し合って
決めたのだ。俺の胸ポケットの中には今、小さな重みがある。
「ああ、おはよう」
答えて顔を上げたロイの視線が、俺の肩口で止まり……ほんの少しだけ、
頬が染まった。ほんの数時間前のことを思い出しているのだろうが……
やばい……可愛い。
思わず抱きしめそうになって、ギリギリのところで踏みとどまった。
「大佐」
ロイ、ではなく、大佐と声をかけることで、昨日のあれを、俺は見ていないことに
したのだと改めて告げる。
ロイの涙は、俺の、俺だけの中にあればいい。
「俺の分の仕事、このまま大佐がやって下さるんですか?」
にやりと笑って問えば、ロイは小さく咳払いをして、どさどさと書類の束を
俺の腕に放り込んだ。
「って、ちょっと! これ絶対多い……っ」
「ん? そうかな?」
とぼけた顔で笑うロイが、にくたらしい。
くそう。やっぱり泣き顔を見てやれば良かった。
「中尉ー、大佐が俺をいじめる……」
「あら、丁度良かった。じゃあ大佐にはこちらを……」
せめてもの意趣返しにと中尉に訴えたら、ロイの目の前に、さらにどさりと紙の束が。
「中尉……これは……」
茫然とロイが呟くのを、俺も茫然と見ていた。
「仕事です」
きっぱり即答してくれた中尉に、俺はもう、うっかり涙目だ。
「俺の腕の中のこれは、減らないわけですか」
「増やすことは可能ですが?」
「いりません」
答えて振り返れば、気の毒そうにこちらを見ていたフュリー曹長と目が合った。
あ……はは。いつもの風景だ。
なんだか、すごく……安心する。
「」
「ん?」
小さく呼ばれて、振り返る前に、ロイが後ろから耳元に唇を寄せてきた。
「はやく終わらせて、鎖を買いに行こう」
指輪をかける鎖を。いつも、離れていても、そばにいられるように。
誰にも知られずに繋がっているために、2人で首から下げようと決めたから。
「うん……でも……」
「でも?」
「終わるか? これ……」
「あー……」
ぱらりと見た限り、申請書とレポートが殆どだ。俺はこれから一体どれだけの
文字を書けばいいのかと、考えるだけで気が遠くなる。
「大佐ー、中佐ー、遊んでないで仕事仕事ー」
ブレダ少尉が、こちらも少なくない紙を抱えて目の前を通り過ぎる。
何だってこんな紙仕事ばっかりありやがるんだ……。
げんなりと溜息をついて、大人しく机につくことにした。
「じゃあ、またあとで……ロイ」
「ああ、またあとで」
互いに苦笑しながら離れて、それぞれの仕事をこなす。
ペンを握るロイと、たくさんのファイルをかかえた中尉。
難しい顔で文献を睨むブレダ少尉。
ハボックからの状況報告の電話を受けているフュリー曹長。
コーヒーを淹れてくれたのは、ファルマン准尉。
電話が鳴る。
ヒューズ中佐が、またエリシアちゃんを自慢しているらしい。
ここのところかかってくる回数が多いと思ったら、もうすぐ彼女の誕生日だ。
自然、顔が綻ぶ。
この場所にいられることが、嬉しくて。
「中佐、手が止まってますよ」
がっちり文献にかじりついていたはずなのに、目ざといなブレダ少尉。
でも、そんなやりとりが、今はとても温かい日常。
やっぱり俺はここが、東方司令部が、大好きだ。
〜End〜
あとがき
ようやく20まできました。ようやく3分の2まできました。
嫌な夢って内容覚えてなくても「嫌だった」ってことだけは強烈に残りますよね。
というお話でした(そうだったのか/笑)
後半はほのぼので。
みんないるのが好きなんです。あったかいのが好きなんです。
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