リライト




閉め切ったカーテンは、薄く日の光を通している。

もう日は高く、窓の外からは 町の喧騒が聞こえてくる時間帯。

は ベッドに蹲り、ぴくりとも動かない。


目は完全には閉じられておらず、彼が眠っていないことを 辛うじて知らせているが、

薄く開かれた瞼から覗く その瞳は、ゆるく濁ったような色を見せ、

口元からは、吐息以外の何が零れることもない。


「鎮静剤が効いているみたいだね。」


の髪を梳きながら ロイが話しかける。

からの返事はない。


東方司令部に程近い、古いアパートメントの一室に その部屋はあった。

ロイは、日に三度この部屋を訪れる。


は、朝に来た時に飲ませて行った鎮静剤の効力で、

ふわふわと 夢うつつの状態にあった。


…君は、いつになったら…」


反応の薄い身体を抱き起こし、ゆっくりと抱き締める。


「…ぁ…」


小さく零れたの声にロイは、その腕に 優しく力を込めた。








  ※   ※   ※








鎮静剤の切れたに食事をさせて、ロイは司令部へ戻った。

普段のは、感情のすべてを切って捨てたように静かで、

それこそ鎮静剤を使ったように、何の欲求も訴えない。

食事すら、求めることがないのだ。


そんなが取り乱し、泣き叫ぶことが 時々ある。

まるで、感情のすべてを吐き出すように。


痛々しいまでの咆哮を、薬を使うことでしか止めてやれない自分をロイは

歯痒く思えど、他に為す術はない。



の心にあるのは 過去の傷。

当時、が 兵力として派遣されていた イシュヴァールの殲滅戦。

その凄惨な光景を目にし、さらに そこへ も手を下さなければならなかった。

それが、の心に、深く傷を作っている。


自分を殺し、その目的の為に無情になることが出来たロイと、

脆くも崩れ去ってしまった


戦地から、直接の入院している病院に駆けつけ、

恋人の 悲痛な姿を目の当たりにしてロイは、

怒りとも悔いともつかぬ表情を浮かべ、ただ黙って を抱き締めた。


が退院すると、ロイは 自分の家とは別に

このアパートメントに部屋を借り、を住まわせた。

を一人にすることは ひどく不安だったが、

他人の気配が漂う家では 余計に辛いようで、

ロイは、三度の食事の支度をしに アパートを訪ね、

夜にはを 寝かし付けてから 自宅に戻るようになっていた。



食欲も睡眠欲も感じていないのだろうは、促される以外のことをしない。

まるで、生きることを 放棄してしまったかのように。








  ※   ※   ※








夜、仕事を終えたロイがを訪ねると、は 何かに怯えるように

ベッドの上で 膝を抱えて震えていた。


?」


ロイが声をかけると、は びくりと顔を上げる。

その瞳は ひどく不安げに揺れ、しかし怯え以外の色を映すことはない。


「ぁ…」


小さく発せられた声の色にロイは、の感情を閉じ込めている器の

決壊が近いことを知る。

ガクガクと、ひどく震え出したの身体を、

掻き抱くように自分の腕に押さえ込んだ。


「ぁ…ぁあっ…ぅあああああっ」


は、小さな きっかけで 過去に引き戻される。

例えばガラスの割れる音だったり、

外から聞こえる喧嘩の声だったりする それが、

耳に届いた瞬間、彼は怯え始め、溢れ出る感情に支配されてしまう。


(そういえば、さっき そこで乱闘があったな…)


ここへ来る途中、喚く男達を横目に通り過ぎて来たのだ。

しかし、あれは 然程 近くではなかった。


(…あんなに遠くの音まで聞こえるのか…?)


暴れようとする身体を抱き締めて落ち着かせようと試みても、ロイの腕だけでは

やはり どうしてやることも出来ず、鎮静剤を使うことを決める。

が、いつもポケットに入れているそれが、今朝ので最後だったと思い出した。

キッチンにストックしてある薬を取りに行く間、の元を離れることに

不安がないわけではなかったが、付近に割れ物がないことを確認して

ロイは から身を離した。


「ぁ…?」


解放した途端に暴れ出すかと思ったは、しかし そうはせずに

唐突に離された温もりを無意識に追うような仕草を見せた。


?」

「や…、ぃ…や……っっ」


何かを求めるように、僅かに彷徨ったの腕は、

しかし すぐにまた 自らを掻き抱き、苦痛の声を上げ始める。


慌てて薬を取りに向かいながら、ロイは、

あの一瞬 温もりを求めたを抱き締めていたら、

何か変わっていたのかもしれない と、薄く浮かんできた その考えを、

多少の希望と 楽観するなという戒めを持って噛み締めた。








  ※   ※   ※








薬を飲ませ、落ち着くまで抱き締めて、ロイは ふっと息を吐く。



傷つくことが出来たを、羨ましいと感じている自分がいる。

ロイの意識の底にも、あの凄惨な情景は 焼きついている。

心を消した自分が、その全てを焼き払ったことも。


けれど それでも ロイは、目の前にあった残像を薙ぎ払い、自分を保った。

冷徹なほどに割り切った自分を、責め立てる気持ちが ないわけではないのだ。

ほどに純粋であれたら、と 思ってしまうロイは冷徹でなど有り得ないと

彼の親友あたりは、笑って言うのだろうが。



ゆるゆると、眠りに落ちようとするに、僅かな変化があった。

ロイが、手首に僅かな圧迫を感じで見遣れば、

が、Yシャツの袖を きゅっと握り締めている。


?」


その瞳は 相変わらず 明瞭な光を宿してはいなかったけれど、

その手に込められた力は、意志を持ったように強く ロイを繋ぎとめる。


「ぁ…」


の喉が小さく鳴り、口元が僅かに動く。

その唇が、『ロイ』と 形取ったように見えたのは、都合の良い錯覚か。

そのまま眠りに落ちたの手は、ロイを繋ぎとめて離さない。


…早く…」


戻っておいで、と 呟く声は 以前よりも少しだけ、響きに希望を含む。


消し去ることの出来ない過去。

その過去を、彼の中にある歴史を、書き直してやることが出来たなら…。

それは叶い得ない望みだけれど。


泣き叫び、感情を出せるなら、それでいい。

それが、君に生の意志がある証明になる。

君を突き動かすものが、今は それだけだったとしても。





袖を握り締めている手を解かせ、一瞬 不安げに震えたそれを

そのまま 左手で握り込む。

安心したように握り返してくる手の力を嬉しく思いながら ロイは、

今夜は ここにいようと決めた。


「愛しているよ、。」


いつか の その声が、また自分の名を呼んでくれることを、

いつか の その瞳が、また自分を捉えてくれることを 願って、

ロイは その左手の中にある温もりを 守るように 力を込めた。
















〜End〜





あとがき

シリアス風味にいってみました。第四弾「リライト」
いかがでしたでしょうか。
ハッピーともアンハッピーとも付かない話を書いたのは
初めて…ですかね?(既に覚えてない・爆)
ま、たまには こんなのも良いよね ってことで。

ブラウザ閉じて お戻り下さい。