突然に降り出した雨に、制服のまま全身ずぶ濡れて、けれど
鞄だけは濡らすまいと身体で庇いながら、帰路を走る。
学校を出て、何の気なしに、いつもと違う道に入ったおかげで、
周囲に雨宿りをできそうな場所もなく、ただひたすらに走るしかない。
長めの前髪から滴る水が目に入り、鈍く痛む。
まったくついていない。
鞄を胸に抱えたまま、雨が顔に当たるのを避けるように俯いて、
黙々と家を目指して走る。
と、何かに呼ばれたような気がして。
「え……」
顔を上げた先、そこには……
「変な家……」
こんなところに、こんな家などあったろうか。
時折通るこの道の、けれどその周囲に何があったかは、詳しく覚えては
おらず、少しばかり古そうな風変わりな構えのその家が、一体いつから
この場所にあったものか、記憶を探ったとて出てきはしない。
でも、何故か今は心惹かれて。
気がつけば何かに引き寄せられるようにして、その月の飾りのついた
門をくぐっていた。
「あなた達がここに来たということは何か願いがあるということ」
唐突に声が聞こえて視線を巡らせれば、左手の庭に黒い服を着た女性と
3人の男。真ん中でしゃがみ込んでいる少年の腕には……女の子?
意識がないらしく、ぐったりとしている。
「元いた所へ今すぐ帰せ」
「元いた所にだけは帰りたくありません」
2人の男が同時に言い放つと
「それはまた難題ね、ふたりとも」
黒い服の女性が言い、ふと思案するように言葉を切る。
「いいえ、4人とも、かしら」
「え……」
続いた言葉とともに、女性の目が俺の視線を捕らえた。
「あ?」
黒いマントを着た男が、気だるげにこちらを振り返り、白いフードの男も
おや、という顔で振り向いた。
しゃがみ込んでいる少年も、少し驚いたような顔をして。
「貴方、名前は?」
女性が、静かな声で問うてくる。
「あ……え、と……」
「答えて頂戴」
「、」
戸惑いながら答えれば、
「じゃあ、」
いきなり呼び捨てられて面食らう。
「貴方の、願いは、何?」
「え……」
唐突に問われて、さらに混乱した。
「願いがあって、貴方はここへ来た」
「願い……?」
「そう、願い。 それは、なぁに?」
願い、など。 願えることなど、自分にはあったろうか。
「俺……の、願い……?」
胸元に抱いた鞄が、きしりと音を立て、自分の腕に相当な力が
入っていることを知る。
「貴方が今、思っていることを、口にすればいいの」
「思っていること……?」
「そうよ」
願うことなどあろうはずもない、と。 今はそう思っている。
それを口にすればいい……? 願うこと、なんて……。
「俺、は……」
願い、など……
「俺は……」
願ったりなんて……
「俺は……変わりたい」
「そう。 それが、貴方の願い、ね」
「え……俺、今、何……」
今口にしたこれが、俺の、願い……?
「さて、と。 もこっちにいらっしゃい」
俺の「願い」を聞くと、彼女は、あとの3人に向き直った。
「その願い」
すっと彼女の視線が巡り、通り過ぎていく。
「あなた達が持つ、もっとも価値のあるものでも払いきれるものではないわ」
「払う……?」
「ああ、貴方は聞いてなかったわね。 対価よ」
「対価……」
「そう。 けれど、4人で一緒に払うなら、ぎりぎりって所かしら」
「何いってんだてめー?」
黒マントが言い、白フードが茶化した。
それを横目に、俺の混乱がさらにひどくなっていく。
つまり、何がどういうことなのか。
「あなた達4人の願いは同じなのよ」
彼女曰く。
女の子を抱えた少年は、女の子の記憶を集めるために色々な世界に
行きたいのだそうで、黒マントが元の世界に帰りたくて、白フードは
元の世界へ戻りたくなくて他の世界に行きたい、のだそうだ。
「の場合は少し違うけど……」
「え……」
「貴方は、この世界にいたら、変われないわね」
「変われ……ない?」
「根本的なところから変えなければ変わらないでしょうね」
「あ……」
貴方の場合は、と、指されたのは、胸に抱えた鞄。
「目的は違うけど、手段は一緒」
つい、と俺から視線を外し、彼女は言葉を続ける。
「ようは違う次元、異世界に行きたいの」
対価を払えばそれが可能で、でも1人ずつじゃだめで、でも俺は……
考えているうちに、黒マントは刀を差し出し、白フードはイレズミを渡した。
こんな時なのに、イレズミってどうやって取れたんだろうと見つめてしまえば
白フードの彼と目が合い、ふうわりと苦笑を向けられた。
「で、だけど」
「え?あ、はい」
「その鞄」
「え」
「それが、貴方の対価よ」
もっとも価値のあるもの、として指差されるのが、どうしてこの鞄なのか。
「あ、の……この万年筆の方が……っっ」
価値は高い。 制服の胸ポケットから出して差し出したそれを、
「違うわ」
彼女はきっぱりと否定した。
「でも、だって……」
ものすごく高級なもののはずなのだ、これは。
「今、貴方にとって、もっとも価値のあるものはそれじゃない」
「っ……」
「さぁ、どうするの?」
変わりたいのは、本当? 変わってどうなる? それ以前に、変われるのか?
そもそも、異次元に行くだなんて、こいつらだって、本当にただの
コスプレかもしれないじゃないか。
「俺、は……」
「仕方ないわね、少し悩んでなさい」
そう言うと、彼女は、座り込んでいる少年へと向き直った。
「あなたはどう?」
静かな声は、静か過ぎて、とても耳に痛い。
対価を言われる前に、差し出せると、頷いた、少年。
「……いい覚悟だわ」
笑んだ彼女の後ろの建物から、眼鏡の男が走り出てきた。
「この子の名前は、モコナ=モドキ」
不思議なカタチをした生き物を腕に抱いて、彼女はその生き物が俺達を
異世界へ連れて行くのだと言った。
いつ願いが叶うのかは、運次第だ、とも。
「けれど、世の中に偶然はない。 あるのは必然だけ」
ふわりと、白い生き物のまわりの空気が揺らいだ気がして。
「あなた達が出会ったのも、また必然」
そこまで言って、彼女の目が、すっと真剣さを増した。
「小狼、あなたの対価は……関係性」
小狼と呼ばれた少年は、その腕に抱いた少女との関係を、対価として
差し出すことを要求された。
そして、それでも、行く、と答えた。
大切なものを差し出して、それでも叶えたい願い。
それも、他人のための。
俺は……自分のための願いにさえ、こんなにも臆病で……。
「、貴方の心は、決まったかしら?」
「……はい」
この鞄を差し出すことが、俺にとって、どんな意味を持つのか。
そんなこと、この人はきっと知っているんだろう。 すっと鞄を手離した俺に、
「貴方が変わるには、必要な苦しみよ」
彼女はそう言うと、そっと俺の頭を撫でた。 それからもう一度、小狼に向き
異界を旅することの意味を、その辛さを諭す。
「でも、決心は揺るがない……のね」
彼の対価が、きっと一番重いものであるから。
「……はい」
でも、それでも少年は頷くのだ。 覚悟を、決めた目で。
「覚悟と誠意」
何かをやり遂げるために必要なもの。 それが、彼には、備わっている。
じゃあ……俺には……?
「では、行きなさい」
彼女の言葉とともに、まばゆい光と強い風に飲み込まれ、視界が眩んだ。
ああ、本当に、どこかへ行くのだと、唐突に実感して、けれど何故か焦りも
緊張もなく、ただ冷静な気持ちで流れに身を任せた。
いつか、この世界へ戻るときがくるだろうか。
もう戻れないとは、彼女は言わなかったけれど。
すべてが必然ならば、なるようになるんだろう。
混濁していく意識の中で、とりとめのない思考が、つらつらと流れていく。
長い旅になりそうだ。
俺の願いは……叶うだろうか。
何か白い光を見た気がして、けれど、俺の意識は、そこで途切れたのだった。
〜End〜
あとがき
ようやっと書き始めましたツバサ夢。
セリフが自由にならないのが原作沿いの辛さ。
なるべく原作に忠実にセリフは入れてますが、
細かいところは見逃して下さい(涙。
一体何処まで続くやら、見守ってやって頂ければ幸い。
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